国鉄/実車情報

実車情報

目次

EF58

  • Bトレの説明書では、Hゴムひさし付きを小窓ひさし付きと混同しているものなど多数の誤りが見受けられる。
  • 時期や所属場所等によって仕様の変化があり、実車写真と異なる場合もあるため、一覧表は参考程度に留めること。

103系

  • 国鉄通勤形電車として、当時の国鉄の財政・設備・保守などの各事情を考慮し、経済性を重視して設計された。先代の101系の後継車両でもある。
  • 1963年3月から1984年1月、のべ21年のも間で3447両が製造された。E231系やE233系が登場するまでは、国鉄・JRを通してみても製造車両数が最大であったことも有名である。*1現在は廃車や海外譲渡などで数が332両と激減、JR東日本、JR東海の路線では全廃した。残っているのはJR西日本とJR九州のみである。
  • 登場当初は首都圏の山手線専用形式として登場した。これは駅区間距離が短いのと速度が低いためであった。通勤形の特徴である低速域での加速力が高い。
    • ただしブレーキは癖があり、40㎞/h以上だと電気ブレーキ、40㎞/h以下だと空気ブレーキがそれぞれ働くため、停止位置が前後する特徴があった。
  • JR西日本に所属する103系は体質改善工事を受けて新車同様の車体になった。
  • JR九州に所属する103系は地下鉄区間の走行に対応するため、本州の車両とは違う仕様になっている(車体は201系、前面は105系ベース)。
  • 21年間も製造が続いているので、初期生産車と最終生産車で仕様が違う部分がある。

205系

  • 1984年に製造が開始され、翌1985年に運用を開始。国鉄分割(1981年~1987年)~JR民営以降(1987年~1994年?)まで製造が続いた車両である。
  • 線区に合わせ様々な改良・改造などがある。
    • 以降は2014年10月現在の205系の状況である。
  • JR東日本では首都圏でE233系による置き換え(一部は海外譲渡や他線区転用など)が進んでいるため、現在は南武線(支線も含む)・武蔵野線・鶴見線・八高線・川越線・仙石線・日光線・宇都宮線でしか見ることのできない車両となっている。
    • 仙石線の一部編成は2011年の大震災で被災し、廃車になっている車両がある。
  • JR西日本では阪和線の運用のみである。
  • 0番台は一時期帯色を変更して高槻~尼崎の限定運用に入り、宮原へ転属したが、僅か2年で阪和線へ再転属している。

12系客車

  • 12系客車は1970年に開催される大阪万博で問題になってくる会場までの輸送を念頭に、波動用及び臨時・団体列車向けとして製造された。
    • すでに電車や気動車が主流となっていたが様々な理由から、あえてこの12系客車を製造されることになった。
    • 旧型客車(10系客車などを指す。)では冷暖房を牽引する機関車に依存していたが、12系客車からは分散型のクーラーと電気暖房装置をすべての車両に設置し、それらを稼働させるため、床下にディーゼル発電機を電源装置として設置した。この電源装置を搭載しているのは「スハフ12形」である。
      • このため、旧型客車を牽引する際に求められる装置*2を搭載していない貨物牽引用の機関車でも牽引できるようになったが、照明・放送装置の電源は旧型客車同様、車軸発電機からの電源で賄っている。
    • 従来形の客車とは一線を画すものとなった12系客車。12系客車以降の新造客車はこの12系をベースに製造された形式も多い。
      • また、12系客車のみだけではなく、従来形式の客車との連結も考えられ、蒸気暖房用の引き出し菅と電気暖房用の引き出し線を搭載しているので、この形式が従来形の客車と機関車の間に連結されても従来形の客車に滞りなく暖房供給が行き届くようになっている。
  • 製造されたのは普通車のみで、製造時期によって仕様が異なる。
  • 普通列車用に仕様化改造を受けたものやジョイフルトレインなどに改造されているものも多いのが特徴である。
  • 12系客車は、今現在でも臨時列車や波動用として扱われているものもあれば、各私鉄(各第三セクター会社)に譲渡されて活躍しているものもいる。後記の14系や24系に比べると形こそは変わってはいるものの、今でもその役目を務めているのが分かる。
    • 特に編成に固定概念がないので、今までリリースされている商品の中では汎用性が一番ある車両である。
  • 製造開始の1969年を皮切りに、製造終了の1978年までの総製造数は603両に上る。

14系客車

  • 先代の12系客車をベースに、「分散電源方式*3」を採用しつつ、特急列車への連結を前提として車内設備を持たせた。
    • 14系は使用用途に応じて改造を施したものもあれば*4、24系へと転出改造されるなど、様々な経路をたどっている。
    • ここ最近で使用されていた列車は、JR最後の急行列車だった「はまなす」である。*5
      • 純粋な寝台車のみとなると、2010年に廃止された寝台特急「北陸」が最後となる。
    • 14系客車は12系、24系と併結することができ、国鉄時代ではこの3種類で編成を構成することが可能だった。
  • 14系は一部が24系へと転出*6されたりしているので、外観は24系でも種車が14系ということで、実質的な車齢はかなりのものになっている車両があるほど。

14系寝台車

  • 先代の20系客車は寝台列車として大成功を収めたものの、「集中電源方式*7」で、主に九州ブルトレで多かった多層階建て列車*8には不向きであった。
    • それを解消すべく先代の12系客車を基本に、寝台車として設計・製作されたのがこの14系寝台車である。
      • 14系寝台車はデビュー当初は3段寝台*9だったが、後に24系と同じ2段寝台に変更された。*10
    • デビューは1971年で、試作車10両が製造された。その10両の初運用は急行「瀬戸(下り)2号と(上り)1号」で使用された。
      • この試作車10両は同列車で使用されていた従来型の客車と連結するために、蒸気暖房菅と電気暖房用引通し線を搭載していた。
    • 本格的に使用されたのは1972年3月のダイヤ改正からで、寝台特急「さくら」・「みずほ」・「あさかぜ(下り)2号と(上り)3号」からとなる。
    • しかし、1972年に「北陸トンネル火災事故*11」をきっかけに、14系寝台車の製造が中止されてしまった。*12それ以降、14系寝台車に代わる増備は24系へと変わることになった。
  • 一時は製造が中止された14系寝台車だが1978年からは、新たな防火基準を満たした「14系15形」が新たに63両、製造された。*13
    • 15形は24系25形に準ずる車体を持っていたが、14形と同じ電源方式なので車両単位での混結が可能である。
  • 14系寝台車は主に九州・四国・山陰方面ブルトレで活躍しているので、各列車の編成は様々である。 各自で調査していただきたい。

14系座席車

  • 1969年から、国鉄は波動用として12系客車を製造していた。急行用として製造されていた12系客車だが、14系客車とは違い110㎞/h運転が可能で、冷房完備、なおかつ唯一の昼行用客車ということもあり、臨時特急運用にも12系を使用していたが利用者からの評判は良くなかった。
    • 上記の理由がきっかけとなり、12系客車をベースに183系電車と同じ車内設備を持つ特急形車両として製造されたのがこの14系座席車である。
      • 1972年から1974年にかけて合計325両が新潟鉄工所・富士重工業・日本車輌製造で製造された。
    • 当時は12系に代わる波動用車両として製造されたので、グリーン車と食堂車の製造は元から無く、普通車のみ製造された。*14
    • 波動用として製造されたので、レジャー客やスキー客などが持ち込む大型の荷物に対応するため、客室の一端に大型荷物置場を設置した。
    • この座席車は、12系客車か14系寝台車としか併結できないようにされたため、14系寝台車の試作車で搭載された蒸気暖房菅と電気暖房用引通し線を搭載していない。
実車情報
*1 製造年数や製造車両数で、私鉄車両でこれに匹敵するのは東武鉄道の8000系の712両である。
*2 暖房用ボイラーや電源供給装置のこと。
*3 床下に搭載されているディーゼル発電機で電源を供給する方式。
*4 主にジョイフルトレインなど
*5 座席車・寝台車を使った混成編成列車。
*6 あるいはその逆もある。
*7 電源車から編成内の全車に電源を供給する方式。
*8 途中の駅までは一緒に運転され、そこからは各行き先に向かう列車のこと
*9 581・583系、20系客車に採用されていた寝台設備。
*10 2段化されたのは全車ではない。3段式のままで残ったものもある。
*11 詳しくはWikipediaを参考。
*12 この事故前まででの、寝台車の製造数は188両である。
*13 この15形の登場により、これ以前の14系寝台車は「14系14形」と位置付けられた。15形を含めると寝台車の総製造数は251両になる。
*14 グリーン車は後の改造などで生まれた。食堂車は寝台車と共用である。
このサイトはBトレインショーティーの製品情報をまとめた非公式ウィキです。プライバシーポリシー